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0418 京大生 ミスコン復権に走る「女を武器」 本音で勝負


 「ウチの学園祭って、なんでミスコンないのぉ?」。去年の夏、祇園祭宵山の夜。京都大経済学部に入学したばかりの仲暁子(20)は、浴衣姿でつぶやいた。気の合う男女数人で飲んでいたときだ。

 「あれば、絶対盛り上がるのに」。外は、にぎやかなおはやしが流れ続けている。「自分らで企画しちゃおうか」。まるっきり、祭りの延長。仲はその晩、ほろ酔い加減で、京大初のミスコンへ走り出した。

 軽いノリとは裏腹に、仲の心は、冷めていた。「男なんてしょせん、女の顔しか見てない」。男性誌にあふれる女の品評会のような記事。その裏返しに、女性誌では、男の目を意識したメークやファッションが幅を利かせる。

 「反骨のとりで」といわれる京大だって同じ。入学して少し後の飲み会。クラスの男子が冗談っぽく言った。「おれは見た目も中身もかわいい女がいい。何でもスゴーイって感心してくれるような」。続けて「京大の女は終わってる」。

 とどめを刺された気がした。「男と女が対等」なんて、うそ。それなら、と仲は開き直った。「男が思う『いい女』像を変えようとするより、乗っかった方が楽。女を武器にしちゃえばいい」

 チクリと胸は痛む。歴史の陰で耐えるだけだった女性は戦後、少しずつ解き放たれた。政治参加に始まり、国立大への進学、就職…。男社会の厚い壁にもへこたれず、前へ前へと踏み出してきた先輩たちの頑張りがなければ、どれ一つ、つかめなかったはずだ。

 でも、仲は思う。「きれいごとだけじゃ生きられない」。戦後60年。それだけの歳月と情熱を費やしても、男は女性を「モノ」として見続けている。そんな視線から、ついに自由にはなれていないのだから。

 仲は毎朝、鏡の前で、高校時代はしたことのない化粧を始めた。ファッション雑誌も買うようになった。月に約3万5千円は、洋服やくつ、化粧品に消えている。書籍代の10倍以上。きれいでいるのは、ずいぶんと金と手間がかかる。

 だから、ミスコンは仲にとって「女性たちの日々の努力を認めさせる場」だ。ランク付けが悪いとは思わない。勉強や運動と同じように「どれだけ努力したかで、優劣が分かれるのは当然じゃん」。

 本番へ向け、仲は候補者探しに精を出した。基準はただ一つ、「見た目」。4カ月ほどかけて、当日にウエディングドレスをまとう5人を選び出した。

 けれど、予想外の逆風が吹いた。中止を求める声だ。反対派の主張は1970年代、ミスコンが猛烈に批判され、消えていったときと同じだった。

 当時、反対ののろしを上げたのは、ウーマンリブに目覚めた女性たち。美の価値を、容姿だけに求めるミスコンは「女性差別」と訴えた。そのミスコンが今、各地の大学祭で復活している。

 「見てくれだけで判断される社会を、女性自身が肯定してどうする」。祖父江信太郎(31)ら反対派の学生は迫った。「顔の美しさも才能」と言い切る仲。延べ24時間に及んだ議論は全くの平行線。京大初のミスコンは、最後の最後で、中止に追い込まれた。

 それから4カ月。愛・地球博(愛知万博)の会場。英語の得意な仲は、あるイベントの通訳として舞台に立っていた。桃色がかった肩もあらわなドレスで。普段より入念な化粧で。

 「その方が男性にウケると思って」。タテマエのかけらもない。あるのは、あっけらかんとした本音。男の視線からは逃れられない。だから「利用される振りして利用しようとしてるだけ」。それが、女である自分が、自分らしく生きる方便だと信じて。=文中敬称略(この連載は、名古屋社会部・星浩、酒井和人、宮川まどかが担当します)

(メモ)

 <ミスコン> 1908(明治41)年の全国美人写真審査が日本初とされる。戦後、50年に開催されたミス日本コンテストを機に爆発的に広がった。一時、下火になったが、各地の大学祭で復活。東京大大学院の上野千鶴子教授(社会学)は「進学や就職など女性の選択肢が増える中、持てる女が、持たざる女を出し抜く状況になっている」と指摘。母校の京大のミスコン騒ぎについては「女はカオ、という本音を抑制するのが教養。本音がまかり通るなら『教養の府』である大学も地に落ちた」と断じた。


URL:http://www.chunichi.co.jp/hold2005/postwar60/050418T1428.html


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